《医師ガシェの肖像》は、フィンセント・ファン・ゴッホの最晩年の作品のひとつで、2つのバージョンがあります。モデルを前にして描いた第1バージョン(F 753)は、1990年5月にニューヨークのクリスティーズで8250万ドル(82.5 million)で落札され、当時、絵画としては史上最高額となりました。それ以来、どこにあるのかは公にされていません。第2バージョン(F 754)はパリのオルセー美術館が所蔵しており、このページの図版もこちらです。ゴッホは1890年6月、亡くなる2か月足らず前に、オーヴェル=シュル=オワーズで2点とも描きました。モデルはポール・ガシェ。絵を愛好する医師で、オーヴェルでゴッホの健康を見守る役目を担っていた人物です。
《医師ガシェの肖像》の意味:何が描かれているか
描かれているのは、白い帽子をかぶり青いフロックコートを着た60歳ほどの男性です。赤いテーブルに肘をつき、右手に頭をもたせかけて座っています。第1バージョンでは、テーブルの上に黄色い小説が2冊と、ジギタリン(強心剤)のもとになる植物ジギタリスを挿したグラスが置かれています。第2バージョンには本がなく、ジギタリスの枝はテーブルの上、左手の指の下にあります。背景は青い丘です。この絵の中心は表情で、ゴッホは手紙のなかでそれをメランコリー(憂鬱)の表情と書いています。
ポール=フェルディナン・ガシェ(1828–1909)はホメオパシーの医師で、美術品の収集家、アマチュアの版画家でもあり、自作の絵には「ポール・ヴァン・リセル」と署名していました。1858年には『Étude sur la mélancolie』(メランコリーに関する研究)という論文で博士号を取得しています。テオは、かつてガシェの患者だったカミーユ・ピサロの勧めで、サン=レミの療養院を出たフィンセントの健康を見守る医師として彼を選びました。ゴッホの目には、ガシェは自分と同じくらい神経質で風変わりな人物と映りました。妹ヴィレミーンには、ガシェ医師のうちに「初めから友人だったような人、そして新しい兄弟のような人を見つけた。それほど私たちは身体的にも、精神的にもよく似ている」と書いています(英語版公式訳からの拙訳)。この肖像は、ある意味で2人の肖像でもあるのです。

2つのバージョン:どちらがどちらか
この絵についていちばん多い質問は、どちらのバージョンが売られ、どちらなら見られるのか、というものです。違いは次のとおりです。
| 第1バージョン | 第2バージョン | |
|---|---|---|
| カタログ番号 | F 753 · JH 2007 | F 754 · JH 2014 |
| サイズ | 67 × 56 cm | 68 × 57 cm |
| テーブルの上 | 黄色い本2冊とグラスのジギタリス | 本はなく、手の下にジギタリスの枝 |
| 描き方 | 実物を前に、6月3日ごろ | 第1バージョンをもとに、モデルなしで |
| 最初の所有者 | テオ・ファン・ゴッホ | ガシェ医師 |
| 所在 | 個人蔵、所在は非公表 | オルセー美術館(パリ) |
| 知られている理由 | 1990年の記録的な落札 | 美術館で見られる1点 |
手紙に書かれているのは第1バージョンだけです。テオ宛ての手紙もヴィレミーン宛ての手紙も、黄色い本や小説に触れていますが、それは第2バージョンには描かれていません。ミシェル・パリの研究(1996年)を引くフランス語版ウィキペディアによれば、ゴッホは6月4日から7日のあいだに、モデルなしで第1バージョンを写して第2バージョンを描いたとされます。この第2バージョンはガシェの家に残り、彼の子どもたち、ポールとマルグリットが1949年にフランス国家に寄贈しました。1952年からジュ・ド・ポームで展示され、1986年のオルセー美術館の開館以来、同館にあります。
手紙が語るもの:「現代の深く悲しげな表情」
ゴッホは1890年6月3日、テオにこの絵のことを書いています(vangoghletters.orgの書簡877)。ちょうどガシェ医師の肖像に取り組んでいるところでした。「白い帽子をかぶった頭部は、とてもブロンドで、とても明るく、両手も明るい肌色で、青いフロックコートにコバルトブルーの背景。赤いテーブルにもたれていて、その上には黄色い本と、紫の花をつけたジギタリスがある」。さらに、この絵はオーヴェルに持ってきた自画像、つまり現在オルセー美術館にある自画像と「同じ感情で」描いたもので、ガシェはその自画像に「すっかり夢中」だと書き添えています(いずれも英語版公式訳からの拙訳)。手紙には本が1冊だけの肖像のスケッチが添えられていますが、書簡集の注3によれば、絵ではもう1冊が加えられました。

6月5日には妹ヴィレミーンに宛てて(書簡879)、自分の仕事のなかで何よりも情熱を傾けているのは「肖像画、現代の肖像画」だと書きました。写真のように似せることによってではなく、「私たちの情熱的な表情」によって、「1世紀後の人々には幻のように見える」肖像画を描きたいというのです。そしてこの肖像を詳しく説明しています。顔は「熱しすぎて日に焼けたレンガのような色」、赤みがかった髪に白い帽子、青い丘を背景にしたウルトラマリンブルーの服、そして顔よりも青白い「産科医の」手。前の赤い庭のテーブルの上には「黄色い小説と、濃い紫のジギタリスの花」(いずれも英語版公式訳からの拙訳)。
6月13日、ヴィレミーン宛ての別の手紙(書簡886)でも、ゴッホはこの絵に触れています。ガシェの肖像は「見る人にはしばしばしかめ面に見えるかもしれない、メランコリーの表情で」描いたこと。そして彼の考えでは、それこそが描くべきものでした。「悲しげでありながら穏やかで、しかも明晰で知的。多くの肖像画はそのように描かれるべきだ」。6月中旬のゴーギャン宛ての下書き(RM23)では、ひと言でこうまとめています。「現代の深く悲しげな表情をたたえたガシェ医師の肖像」(いずれも英語版公式訳からの拙訳)。
解説:メランコリーの肖像
ポーズ
手に頭をもたせかけるのは、メランコリーを表す伝統的なポーズです。ゴッホはこれを、少し前に描いた自作、マリー・ジヌーの肖像《アルルの女》から借りています。1890年2月にサン=レミで、ゴーギャンの素描をもとに描いた作品です。そこにはすでに、本が2冊のったテーブルと、手に頭をもたせかけた姿がありました。ゴッホはそのうちの1点をオーヴェルに持ってきており、ガシェはそれを高く評価していました(書簡877・879)。ウィキペディアが引くヤン・フルスケルによれば、ゴッホはその構図を医師の肖像に移したのです。ゴッホは以前にも、ドラクロワの《精神病院のタッソ》を、「モデルの魂」(英語版公式訳からの拙訳)をそなえた肖像の例として挙げていました。
色彩
背景のコバルトブルーとフロックコートのウルトラマリンが、テーブルのオレンジがかった赤や本の黄色と対比をなしています。ゴッホが好んで用いた補色の組み合わせで、その中心に青白い顔があります。ゴッホ自身、青い服は「顔を引き立て、レンガ色であるにもかかわらず、より青白く見せる」と説明しています(書簡879。英語版公式訳からの拙訳)。
ジギタリス
ジギタリス(Digitalis purpurea)は有毒で薬用にもなる植物で、ある種の心臓病に使われるジギタリンがとれます。絵のなかでは医師であることを示す持物(アトリビュート)の役割を果たしています。vggalleryは別の解釈も紹介しています。ゴッホ自身が受けていたジギタリスによる治療をほのめかしている、というものです。手紙からはそれはわからず、ゴッホはこの花を「紫の花をつけたジギタリス」(英語版公式訳からの拙訳)と呼んでいるだけです。
オルセー美術館の作品は本物か
第2バージョンが本当にゴッホの作品かどうかは、何十年にもわたって議論されてきました。ガシェ医師とその息子は自分たちのコレクションの絵を模写しており、最初のカタログ・レゾネ(1928年)を著したド・ラ・ファイユは、覚え書きのなかでこれを第1バージョンの「ごく弱い複製」とみなしました。一方、1970年版のカタログの編者たちはこれに異を唱えました。1999年、オルセー美術館は旧ガシェ・コレクションの展覧会を開き、ゴッホやセザンヌらの作品を、医師とその息子による模写と並べて展示しました。それに先立ち、赤外線、紫外線、顔料の分析を依頼しています。その結果、ガシェ親子の模写は輪郭を描いてから中を塗っていたのに対し、ゴッホはカンヴァスに直接描いていたことがわかりました。美術館はこの作品をゴッホの作品としています。
世界一高価だった絵と、その消息
第1バージョンは波乱に満ちた歴史をたどりました。ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルが1897年に300フランで売却し、その後コペンハーゲン、画商パウル・カッシーラー、ハリー・ケスラー伯爵の手を経ました。1911年にフランクフルトのシュテーデル美術館が購入しましたが、1933年には人目につかない部屋に移されます。1937年、ナチス・ドイツの宣伝省が「退廃芸術」として没収し、ヘルマン・ゲーリングが代理人を通じて収集家フランツ・ケーニヒスに売却しました。1939年にニューヨークに渡り、収集家ジークフリート・クラマルスキーの所有となって、メトロポリタン美術館にたびたび貸し出されました。
1990年5月15日、クラマルスキー家はこの絵をニューヨークのクリスティーズのオークションに出品しました(ロット21)。わずか3分ほどで落札したのは、大昭和製紙名誉会長の日本人実業家、齊藤了英氏です。落札額は8250万ドル(82.5 million)。ハンマープライス7500万ドル(75 million)に10%の手数料を加えた額でした。その2日後、齊藤氏はルノワールの《ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会》を7810万ドル(78.1 million)で落札しています。当時75歳の齊藤氏は、このゴッホを自分と一緒に荼毘に付してほしいと語りました。その後、日本国や美術館に譲ることにも言及しています。
齊藤氏は1996年に亡くなり、絵はそれ以来一度も公の場に現れていません。ウィキペディアが紹介する2007年の報道によれば、この絵はオーストリアの金融家ヴォルフガング・フレットルに非公開で売却され、さらに彼が氏名不詳の買い手に転売せざるをえなかったとされます。2019年の展覧会に際して、シュテーデル美術館は私立探偵を雇いましたが、所在をつかめず、同館が保管している当時の額縁を空のまま展示しました。フランス語版ウィキペディアが引く『The Art Newspaper』(2019年)によれば、フランツ・ケーニヒスの孫娘の1人がこの絵の返還を求めています。現在、この絵はどの美術館でも見ることができません。
エッチング:パイプをくわえたガシェ
アマチュアの版画家だったガシェは、ゴッホにエッチングの手ほどきをしました。その成果が、ゴッホが生涯で唯一制作したエッチング、パイプをくわえた医師の肖像です。約18 × 15 cmで、油彩とは異なるポーズをとっています。刷りを1枚受け取ったテオは、これを「本物の画家のエッチング」(英語版公式訳からの拙訳)と呼びました。画家の死後、息子のポール・ガシェが刷りを重ねています。詳しくはガシェ医師のエッチング(スペイン語)のページで紹介しています。

《医師ガシェの肖像》はどこで見られるか
第2バージョンはパリのオルセー美術館にあります。同館は《ローヌ川の星月夜》(スペイン語)、《オーヴェルの教会》、1889年の《自画像》(スペイン語)も所蔵しています。また、《庭のガシェ嬢》(スペイン語)や《ガシェ医師の庭》(スペイン語)など、医師の家から来た作品もあります。第1バージョンはどこにも展示されていません。美術館の一覧はゴッホの作品が見られる美術館(スペイン語)にまとめています。
当サイトに解説ページがあるオルセー美術館のゴッホ作品をすべて、来館に役立つ情報とともにまとめています:オルセー美術館のゴッホ(スペイン語)。
オークション履歴
当サイトの記録にある、この作品のオークションでの落札です(1980年以降。価格はオークション会社の発表どおり買い手の手数料込み。ハンマープライスの場合や報道を出典とする場合はその旨を記載)。
- 1990年5月15日:クリスティーズ、ニューヨーク、ロット21、Portrait du Dr. Gachet、落札額82,500,000米ドル(出典:Wikipedia)。
ゴッホ作品のすべての落札記録を、最高額と出典とともにゴッホのオークション記録(スペイン語)にまとめています。
《医師ガシェの肖像》についてよくある質問
《医師ガシェの肖像》はどこにあり、誰が買ったのですか?
2点あります。第2バージョン(F 754)はパリのオルセー美術館にあり、1949年に医師の子どもたちが寄贈したものです。第1バージョン(F 753)は1990年に8250万ドル(82.5 million)で日本人実業家の齊藤了英氏(1996年没)に売却され、現在の所在はわかっていません。
ゴッホはガシェ医師を何点描きましたか?
油彩は2点で、どちらも1890年6月の作品です。1点目は黄色い本が2冊描かれ、実物を前にして描いたもの。2点目は本がなく、1点目をもとに描かれ、ガシェ自身の手もとに残りました。ほかに、パイプをくわえた医師のエッチングがあり、これはゴッホが生涯で制作した唯一のエッチングです。
《医師ガシェの肖像》はいくらで落札されたのですか?
1990年5月15日、ニューヨークのクリスティーズで、第1バージョンが8250万ドル(82.5 million)で落札されました(7500万ドル(75 million)に手数料を加えた額)。当時、絵画としては史上最高額でした。ウィキペディアは、現在の価値でおよそ2億ドル(200 million)と見積もっています。
ガシェ医師とはどんな人物ですか?
ポール=フェルディナン・ガシェ(1828–1909)は、オーヴェル=シュル=オワーズに住むホメオパシーの医師で、収集家、アマチュアの画家でもあり、ピサロやセザンヌと親しくしていました。1890年5月、テオはフィンセントの世話を彼に託しました。ゴッホは彼を「新しい兄弟のような人」(英語版公式訳からの拙訳)と考えていました。
《医師ガシェの肖像》の花には何の意味がありますか?
花はジギタリスで、心臓の薬に使われるジギタリンがとれる植物です。医師という職業を示す持物です。ゴッホ自身の治療をほのめかしていると考える研究者もいますが、ゴッホは手紙のなかでこの花を「紫の花をつけたジギタリス」(英語版公式訳からの拙訳)と書いているだけです。
ゴッホはいつガシェ医師の肖像を描いたのですか?
1890年6月初め、オーヴェル=シュル=オワーズで描きました。6月3日にはテオに、この絵に取り組んでいると伝えています(書簡877)。第2バージョンも同じ時期のものです。ゴッホはその2か月足らずあとの7月29日に亡くなりました。
作品データ
| 作品名 | 医師ガシェの肖像(Portrait du docteur Gachet) |
|---|---|
| 作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ |
| 制作年・場所 | オーヴェル=シュル=オワーズ、1890年6月 |
| 技法 | 油彩、カンヴァス |
| サイズ | 第1バージョン:67 × 56 cm。第2バージョン:68 × 57 cm |
| カタログ番号 | F 753 · JH 2007(第1バージョン)、F 754 · JH 2014(第2バージョン) |
| 所蔵 | 第1バージョン:個人蔵、所在は非公表。第2バージョン:オルセー美術館、パリ(1949年、ポールとマルグリット・ガシェによる寄贈) |
| 時期 | オーヴェル=シュル=オワーズ時代(1890年)(スペイン語) |
関連作品
- 《ピアノを弾くマルグリット・ガシェ》(スペイン語)(1890年):医師の娘を描いた作品。
- 《カラスのいる麦畑》(スペイン語)(1890年):最後の数週間。
- 《アイリス》(スペイン語)(1889年):1990年にこの絵が塗り替えた記録の作品。
出典:書簡877(テオ宛、1890年6月3日、注3)、879(ヴィレミーン宛、1890年6月5日、注13)、886(ヴィレミーン宛、1890年6月13日)、RM23(ゴーギャン宛の下書き、1890年6月17日ごろ)、ファン・ゴッホ美術館とホイヘンス研究所による書簡集(vangoghletters.org)。vggallery.com(F 753:来歴と展覧会歴、F 754)。Wikipedia「Portrait of Dr. Gachet」「Paul Gachet」「Portrait du docteur Gachet avec branche de digitale」。
