《糸杉》(Cypresses)は、フィンセント・ファン・ゴッホが1889年6月、サン=レミで最も心を奪われた木を描くシリーズの幕開けとなった2点のカンヴァスのひとつです。巨大で暗い2本の糸杉が、炎のようにねじれながら茂みから立ち上がり、画面の上端からはみ出しています。その背後には、うねる雲の空、紫の丘、そして三日月。サイズは93.4 × 74 cmの油彩(F613 / JH1746)で、1949年からニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。ゴッホはテオに、糸杉は「線と比例の点で美しく、エジプトのオベリスクのようだ」と書き、糸杉で「ひまわりのカンヴァスのようなもの」を作りたいと伝えています(書簡783、テオ宛、1889年。英語版公式訳からの拙訳)。
《糸杉》の意味:何が描かれているのか
ゴッホは1889年6月25日頃、テオへの手紙(書簡783)でクロッキーを添えてこの絵を説明しています。「2点の糸杉のカンヴァスのうち、いまクロッキーを描いているほうが一番よい出来になると思う。木々はとても高く、どっしりしている。前景はごく低く、茨と下草。その奥に紫の丘、緑とピンクの空に三日月。とりわけ前景は厚く塗り込めてあり、茨の茂みに黄、紫、緑のハイライトが入っている」。まさにこの作品のことです。同じ手紙のなかで、糸杉を描く理由も語っています。「糸杉のことが相変わらず頭を離れない。ひまわりのカンヴァスのようなものを糸杉でも作りたい。僕が見ているように糸杉を描いた者がまだ誰もいないことに驚いているからだ。線と比例の点で美しく、エジプトのオベリスクのようだ。そして緑には実に気品がある。陽光にあふれた風景のなかの暗い斑点だが、想像しうるかぎり最も興味深い暗い色調のひとつであり、正確にとらえるのが最も難しいものだ」(書簡783、テオ宛、1889年。英語版公式訳からの拙訳)。
つまりゴッホにとって、糸杉はなによりも絵画上の課題でした。光に満ちた風景のなかに、黒く垂直な形を、穴のように見せずにどう置くか。その答えは、ごく暗い緑と青を曲線の筆触で重ね、空の「青を背景に、いやむしろ青のなかに」描くことでした(同書簡、拙訳)。
背景:サン=レミの夏
ゴッホは1889年5月、サン=ポール=ド=モーゾール療養院に入院しました。6月、療養院の周辺へ写生に出かけるようになると、のちにシリーズとなる3つのモチーフに出会います。オリーブの木、麦畑、そして糸杉です。この作品と対をなす《糸杉と二人の人物》(F620、1890年2月に加筆、現在はクレラー=ミュラー美術館)は、《星月夜》や《糸杉のある麦畑》と同じ数週間に描かれました。書簡783では、制作中の30号のカンヴァス12点のなかに糸杉の習作2点を挙げており、その1週間後(書簡784、7月2日)には、それらのカンヴァスをもとにした素描を「十点ほど」テオに送っています。この絵は、1890年3月20日から4月27日までパリで開かれたアンデパンダン展にゴッホが出品した10点のひとつで、「Le cyprès」の題で、画家の生前に展示されました。
作品分析:黒い炎
垂直と水平
画面は縦長で、糸杉は上から下までを埋め尽くし、上端で断ち切られています。画面に収まりきらないのです。ゴッホは1890年5月の《糸杉と星の見える道》でも、糸杉をこのように切り取ることになります。周囲はすべて水平にうねっています。丘も、雲も、下草も。立ち上がるのは木だけで、だからこそ糸杉は動いているように見えます。
厚塗り
ゴッホは手紙で、前景が「厚く塗り込めて」あることを強調しています。茨は黄、紫、緑のタッチが入った絵具の塊で、糸杉は太い曲線の筆触を重ねたものです。同じ手紙では、地面に堅さを与えるため、モンティセリがしていたと思われるやり方で、2点の糸杉の前景を鉛白の厚い塗りで仕上げ、そのうえにほかの色を置いたと語っています。
糸杉とひまわり
《ひまわり》との比較は偶然ではありません。アルルで南の花について成し遂げたことを、南の木でもしたかったのです。自分だけのシリーズ、誰も「僕が見ているように」描いたことのないモチーフです。ひまわりが黄色なら、糸杉は暗い色調でした。
《糸杉》はどこで見られる?
ニューヨークのメトロポリタン美術館(作品番号49.30、ロジャーズ基金、1949年)の、19世紀ヨーロッパ絵画の展示室にあります。展示中かどうかは、美術館の公式サイトで確認することをおすすめします。同じ6月に描かれたもう1点の糸杉、《糸杉と二人の人物》(F620)は1890年2月に加筆され、オッテルローのクレラー=ミュラー美術館にあります。所蔵館の一覧はゴッホの作品が見られる美術館(スペイン語)にまとめています。
《糸杉》についてよくある質問
ゴッホの《糸杉》はどこにありますか?
ニューヨークのメトロポリタン美術館が1949年から所蔵しています(作品番号49.30、ロジャーズ基金)。19世紀ヨーロッパ絵画の展示室で公開されていますが、展示中かどうかは美術館の公式サイトで確認してください。同じ6月に描かれたもう1点の糸杉は同館にはなく、オッテルローのクレラー=ミュラー美術館にあります。
ゴッホはいつ、どこで《糸杉》を描きましたか?
1889年6月、サン=レミ=ド=プロヴァンスで、5月から入院していたサン=ポール=ド=モーゾール療養院に滞在中に描きました。6月25日頃、書簡783でクロッキーを添えてテオにこのカンヴァスを説明しています。その手紙では、制作中の30号のカンヴァス12点のなかに糸杉の習作2点を挙げています。
ゴッホはなぜ糸杉を描きたかったのですか?
テオへの手紙によれば、糸杉が頭を離れず、自分が見ているように描いた者がまだ誰もいないことに驚いていたからです。ひまわりのカンヴァスに似たものを糸杉でも作りたいと考えていました。糸杉を、線と比例の点で美しく「エジプトのオベリスクのよう」であり、陽光にあふれた風景のなかでとらえるのが難しい暗い色調だと表現しています。
《糸杉》には何が描かれていますか?
大きく暗い2本の糸杉が画面を上から下まで占め、上端で断ち切られています。足元には茨と下草の低い前景が厚塗りで描かれ、その奥に紫の丘と、うねる雲と三日月の空が見えます。木の周囲はすべて水平にうねっているため、動いているように見えるのは糸杉だけです。
《糸杉》のサイズは?
93.4 × 74 cmです。縦長の油彩画で、カタログではF613、JH1746として登録されています。
《糸杉》には別のバージョンがありますか?
はい。同じ数週間に描かれた対の作品《糸杉と二人の人物》(F620 / JH1748)があり、ゴッホは1890年2月にこれに加筆しました。現在はオッテルローのクレラー=ミュラー美術館が所蔵しています。ゴッホは書簡783で糸杉のカンヴァス2点に触れ、テオのために素描しているほうが一番よい出来になるだろうと書いています。
《糸杉》はゴッホの生前に展示されましたか?
はい。1890年3月20日から4月27日までパリで開かれたアンデパンダン展に、ゴッホが出品した10点のひとつです。ファン・ゴッホ美術館による書簡集は、カタログにある「Le cyprès」という題をこの作品としています。その数か月前の1889年7月2日(書簡784)には、制作中のカンヴァスをもとにした素描を「十点ほど」テオに送っており、そのなかにこの絵をもとにした1点が含まれていました。
作品データ
| 作品名 | 糸杉(Cypresses) |
|---|---|
| 作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ |
| 制作 | サン=レミ=ド=プロヴァンス、1889年6月 |
| 技法 | 油彩、カンヴァス |
| サイズ | 93.4 × 74 cm |
| カタログ番号 | F613 / JH1746、メトロポリタン美術館 49.30 |
| 所蔵 | メトロポリタン美術館(ニューヨーク) |
| 別バージョン | 糸杉と二人の人物、1889年6月〜1890年2月、クレラー=ミュラー美術館(オッテルロー、F620 / JH1748) |
| 時期 | サン=レミ時代(1889〜1890年、スペイン語) |
関連作品
- 《糸杉のある麦畑》(スペイン語):麦畑と糸杉。
- 《星月夜》:夜の糸杉。
- 《糸杉と星の見える道》(スペイン語):最後の糸杉。
- 《ひまわり》:もうひとつの「南」のシリーズ。
- 《刈り入れをする人のいる麦畑》(スペイン語):同じ夏、療養院から見た麦畑。
出典:書簡783、784、854とその注(ファン・ゴッホ美術館版、vangoghletters.org)、メトロポリタン美術館の作品解説(49.30)、Wikipedia「Cypresses (Metropolitan Museum of Art)」、クレラー=ミュラー美術館の《糸杉と二人の人物》の作品解説(KM 103.931)。
