《星月夜》(ほしづきよ、De sterrennacht)は、フィンセント・ファン・ゴッホの最も有名な作品であり、近代絵画の中でも特によく知られた一枚です。1889年6月、サン=レミ=ド=プロヴァンスのサン=ポール=ド=モーゾール精神療養院で、自室の窓からの眺めをもとに描かれました。眠る村の上に渦巻く夜空が広がり、手前には糸杉がそびえています。73.7 × 92.1 cmの油彩画で、アムステルダムにもパリにもありません。1941年からニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。9か月前にアルルで描かれた《ローヌ川の星月夜》とは別の作品です。
《星月夜》の意味:何が描かれているのか
描かれているのは、谷の上に広がる夜明け前の空です。上部には光の輪をまとった10ほどの星、右上の隅にはひときわ明るい三日月、そして中央には、空を横切る筆致の大きな渦が2つ。左側では、糸杉が地面から画面の上端近くまで伸びています。下には尖塔の高い教会のある村があり、その奥にアルピーユ山脈の丘が連なっています。
この眺めは、療養院でゴッホの寝室にあった東向きの窓からのもので、彼はこの景色を時間を変えて20回以上描いています。けれども、この絵は風景の写しではありません。プロヴァンスというよりオランダ風の教会が建つ村は、実際にはそこから見えませんでしたし、糸杉も近くに引き寄せて描かれています。ゴッホは明け方に観察したことと自分の素描をもとに、昼間アトリエで画面を組み立てました。糸杉の右にある最も大きな星は金星、つまり「明けの明星」で、1889年6月には夜明け前にとても明るく見えていました。
背景:サン=レミ、1889年6月
アルルでの発作のあと、ゴッホは1889年5月8日に自らの意思でサン=ポール=ド=モーゾールに入院しました。与えられたのは2つの部屋、東向きの寝室と1階のアトリエです。最初の数週間は療養院の庭やアイリスを描き、6月の初めに周辺へ写生に出ることを許されると、麦畑やオリーブ畑、糸杉が画題に加わりました。星の輝く夜を描くという構想は、1年以上前、いずれも1888年9月の《夜のカフェテラス》と《ローヌ川の星月夜》のころから彼の頭を離れませんでした。この時期の全体像はサン=レミ時代(1889〜1890年)で紹介しています。
手紙が語ること:明けの明星と「抽象」
1889年6月の初め、フィンセントはテオにこう書いています(書簡777、vangoghletters.org。5月31日から6月6日の間に執筆)。「今朝、日の出のずっと前に窓から田園を眺めた。明けの明星のほかには何もなく、その星はとても大きく見えた」(書簡777、テオ宛、1889年。英語版公式訳からの拙訳)。その数日後、6月18日ごろには「星空の新しい習作」ができたと知らせています(書簡782、英語版公式訳からの拙訳)。その習作こそ、この作品です。
意外なのは、ゴッホ自身がこの絵をほとんど評価していなかったことです。9月にテオへ送った作品の中にこれを加えたとき(書簡805)、彼は単に「夜の習作」と呼び、その発送分については、数点を除けば「残りは僕には何も語りかけてこない」と書いています。テオは10月22日の返信(書簡813)で、「月明かりの村」について「様式の追求が物事の本当の感情を奪っている」と感じると伝えました。さらに11月、フィンセントはエミール・ベルナールに宛てて(書簡822)、アルルでゴーギャンといたときには「抽象」へと導かれるままになったこと、そして今また「星を大きく描きすぎる」ことを自分に許してしまった、「新たなつまずき」だと書いています(書簡805、813、822はいずれも英語版公式訳からの拙訳)。これがこの絵についての彼の唯一の評価で、決して好意的なものではありません。フィンセントもテオも、これを成功作とは考えていませんでした。
作品解説:空、糸杉、村
動く空
空全体は、方向をもった短く厚い曲線の筆致で組み立てられています。星の周りでは同心円状の光の輪になり、中央では2つの渦が互いに巻きつき合い、地平線の上では横向きの波になります。プルシアンブルー、ウルトラマリン、コバルトブルーが、黄色や白と混ざり合うことなく交互に置かれているため、色を混ぜるのは見る人の目で、空が振動して見えるのです。星が独立した点として置かれていた《夜のカフェテラス》や《ローヌ川の星月夜》で試みたことが、ここで渦となって結実しています。
炎のような糸杉
糸杉は画面の高さいっぱいを占め、空と同じうねるような筆致で緑と黒に塗られています。まるで大地と空をつなぐ暗い炎のようです。同じ月、ゴッホはテオに、糸杉のことが頭から離れない、「線とプロポーションの点で、エジプトのオベリスクのように美しい」、そして自分が見ているように描いた者はまだ誰もいない、と書いています(書簡783、英語版公式訳からの拙訳)。数週間後に描かれた《糸杉のある麦畑》(スペイン語)でも、この木が再び主役になります。
静かな村
荒れ動く空とは対照的に、村はまっすぐな線と落ち着いた色で描かれ、教会の尖塔だけが糸杉に呼応する垂直線になっています。ほとんどの窓には黄色い明かりがともっています。それは小さく穏やかな人間の世界で、その上には穏やかではない空が広がっています。個々の象徴よりも、この空と村の対比こそが作品の軸なのです。
トリビア
- インクの素描。ゴッホは油彩画の完成後、ペンとインクによる写しを描きました(F 1540 · JH 1732)。この素描はブレーメン美術館(クンストハレ・ブレーメン)にありましたが、第二次世界大戦末期にソ連へ持ち去られ、現在は帰属が争われている「バルディン・コレクション」の一部になっています。カタログには《星月夜》(素描)(スペイン語)のページがあります。
- ヨー・ファン・ゴッホ=ボンゲルからMoMAへ。この絵はテオから未亡人ヨーの手に渡り、彼女が1900年に売却しました。フランスとオランダで何人かの所有者を経たのち、1941年にニューヨーク近代美術館がリリー・P・ブリスの遺贈品を通じて取得しました。
- 窓には鉄格子があった。サン=ポールでのゴッホの寝室の窓には鉄格子がはまっていました。1889年5月に本人がテオへの手紙でそう伝えています(書簡776)。絵の中には、その痕跡はまったくありません。
- 金星とおひつじ座。歴史家アルバート・ボイムと天文学者チャールズ・ホイットニーの研究によって、絵の空には1889年6月にサン=レミから見えた金星とおひつじ座が描かれていることがわかりました。一方、月は実際には満月を過ぎて欠けていく凸月でしたが、ゴッホは三日月として描いています。
《星月夜》はどこで見られるか
ニューヨーク近代美術館(MoMA)の5階、501展示室(アルフレッド・H・バー・ジュニア・ギャラリー)にあります。サン=レミ時代の作品を数多く所蔵するアムステルダムのファン・ゴッホ美術館にはなく、アルルの星月夜があるオルセー美術館にもありません。つまり、ゴッホの名高い3つの星空、《夜のカフェテラス》、《ローヌ川の星月夜》、そして本作は、オッテルロー、パリ、ニューヨークの3つの美術館、2つの大陸に分かれているのです。スマートフォンやパソコンで楽しみたい方は、当サイトの高解像度の壁紙(スペイン語)をどうぞ。
《星月夜》についてよくある質問
ゴッホ《星月夜》の本物はどこにありますか?
ニューヨーク近代美術館(MoMA)にあります。同館は1941年、リリー・P・ブリスの遺贈品との交換によってこの作品を取得しました。常設コレクションの一部で、貸し出されることはめったにありません。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館やオルセー美術館の所蔵品ではありません。
ゴッホはいつ、どこで《星月夜》を描いたのですか?
1889年6月、サン=レミ=ド=プロヴァンスで描きました。5月8日に自らの意思で入院したサン=ポール=ド=モーゾール精神療養院に滞在していたときのことです。夜明け前に寝室から見た眺めを出発点にしながら、画面は昼間アトリエで仕上げました。6月18日ごろ、テオに星空の新しい習作ができたと伝えています。
《星月夜》にはどんな意味があるのですか?
この絵は対比の上に成り立っています。渦と光の輪をまとった星が荒れ動く空と、窓に明かりのともる小さく静かな村です。この空と人間の世界の対比は、個々の象徴よりも大きな意味をもっています。糸杉の横で最も明るく輝く星は金星で、ゴッホが窓から見てテオに書き送った明けの明星です。
《星月夜》の糸杉は何を表しているのですか?
糸杉は、大地と空を結ぶ暗い炎のような役割を果たしています。画面のほぼ全高にわたって伸び、星と同じうねる筆致で描かれています。このころゴッホは糸杉のことが頭から離れず、その線とプロポーションをエジプトのオベリスクにたとえました。その後まもなく、《糸杉のある麦畑》で再び糸杉を描いています。
《星月夜》の村は実在するのですか?
正確にはそうではありません。ゴッホの寝室の窓からは村は見えませんでしたし、尖塔の高い教会はプロヴァンスよりもオランダを思わせます。この場面は、明け方に観察したものと自分の素描を組み合わせた構成です。
《星月夜》の大きさはどれくらいですか?
73.7 × 92.1 cmです。横長の油彩画で、カタログ番号はF 612、JH 1731です。
《ローヌ川の星月夜》とはどう違うのですか?
《ローヌ川の星月夜》のほうが先に描かれた作品で、9か月前の1888年9月にアルルで制作され、パリのオルセー美術館が所蔵しています。そこでは星は空に置かれた独立した点ですが、サン=レミの《星月夜》では渦へと変わっています。
作品データ
| 作品名 | 星月夜(De sterrennacht / The Starry Night) |
|---|---|
| 作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ |
| 制作 | サン=レミ=ド=プロヴァンス、1889年6月 |
| 技法 | 油彩、カンヴァス |
| サイズ | 73.7 × 92.1 cm |
| 作品番号 | F 612 · JH 1731 |
| 所蔵 | ニューヨーク近代美術館(MoMA)。1941年取得(リリー・P・ブリス遺贈品との交換) |
| 時期 | サン=レミ時代(1889〜1890年)(スペイン語) |
関連作品
- 《ローヌ川の星月夜》(1888年):オルセー美術館にあるアルルの夜。
- 《夜のカフェテラス》(1888年):最初の星空。
- 《糸杉のある麦畑》(スペイン語)(1889年):昼の光の中の糸杉。
- 《糸杉と星の見える道》(スペイン語)(1890年):サン=レミ最後の作品に描かれた糸杉と星。
- 《アイリス》(スペイン語)(1889年):同じ療養院で、1か月前に描かれた作品。
出典:MoMAの作品ページ(moma.org、No. 79802)。書簡776と777(テオ宛、1889年5〜6月)、782(テオ宛、1889年6月18日ごろ)、783(テオ宛、1889年6月25日)、805(テオ宛、1889年9月20日ごろ)、813(テオからフィンセント宛、1889年10月22日)、822(エミール・ベルナール宛、1889年11月26日ごろ)、ファン・ゴッホ美術館とホイヘンス研究所による書簡集(vangoghletters.org)。Wikipedia「The Starry Night」。
