ゴッホ《夜のカフェテラス》

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《夜のカフェテラス》は、フィンセント・ファン・ゴッホが初めて「黒を使わずに」屋外の夜を描いた作品です。1888年9月16日頃、アルルのフォルム広場で、カフェのガス灯と星の光の下、通りにイーゼルを立てて描きました。サイズは80.7 × 65.3 cmで、署名はなく、オランダ・オッテルローのクレラー=ミュラー美術館が所蔵しています。その1週間前に完成した《夜のカフェ》、同じ月の終わりに描かれた《ローヌ川の星月夜》とともにアルルの夜の作品群をなし、それが9か月後の《星月夜》へとつながっていきます。

《夜のカフェテラス》に描かれたものと、その意味

この情景は実在のもので、場所は今も残っています。アルルのフォルム広場にあるグラン・カフェ・デュ・フォルムのテラスです。ゴッホは広場の北東の角に立ち、南を向いて、明るく照らされたテラスと、パレ通り(rue du Palais)の暗がりを眺めました。テラスを覆う黄色い日よけは大きなガス灯に照らされ、その下には客の座るテーブルと白い服の給仕がいます。右手には石畳の通りが青い家並みのあいだを奥へと延び、通行人の姿と、中央には馬車が見えます。上には大きな星をちりばめた濃紺の空が広がり、月はありません。奥にはかつての教会の塔がのぞいています(現在は石碑博物館)。一方で、広場に残るローマ時代の遺跡は画面から外しました。

想像で描いた場面でも、記憶で描いた絵でもありません。ゴッホは夜、現地で、何度かに分けて制作しました。星空のある屋外の情景をその場で描いたのは、これが初めてです。その数日前には、ウジェーヌ・ボックの肖像の背景にすでに星を描き入れていました。星空は何か月も前から手紙で予告していたモチーフで、その後の2年間、ゴッホが取りつかれたように追い求めるテーマになります。

背景:1888年9月のアルル

ゴッホがアルルに来て7か月がたっていました。南仏の光と、画家たちの共同アトリエをつくる場所を求めて2月にやって来て、5月には黄色い家を借りていました。9月には家に家具をそろえ、ゴーギャンの到着を待ちながら、週に何点もの絵を描いていました。9月18日には、テオにそれまでの成果を報告しています(書簡683)。家の向かいの公園を描いた3点、「それから二つのカフェ」、ひまわり、ボックの肖像と自画像などです。月末には《ローヌ川の星月夜》が、10月には最初の《アルルの寝室》(スペイン語)が生まれます。

夜を描くという構想は、ずっと前からありました。4月9日にはテオに、「糸杉のある星月夜、あるいは、熟した麦畑の上の星月夜も必要だ」と書いています(書簡594)。数日後にはエミール・ベルナールに、星空は「ぜひ試してみたいもの」だと伝え(書簡596)、6月にも再び「でも、いつになったら星空を描けるのだろう。いつも頭から離れないあの絵を」と問いかけています(書簡628)。そして9月、妹ヴィレミーンには「今こそ、ぜひとも星空を描きたい」と書きました(書簡678)。(引用はいずれも英語版公式訳からの拙訳)

ヴィレミーンへの手紙:「黒のない夜の絵」

この絵のもっともよい解説は、フィンセント自身が妹ヴィレミーンに宛てた手紙に残しています。1888年9月9日の日曜日に書き始め、14日の金曜日頃に書き継いだ手紙です(vangoghletters.org版の書簡678)。テラスの話の前に、なぜ夜を描きたいのかを説明しています。「夜は昼よりもさらに豊かに色づいているように、よく思えます。このうえなく強い紫や青や緑に彩られているのです。よく見ると、ある星はレモン色で、ほかの星はピンクや緑、勿忘草(わすれなぐさ)のような青に輝いているのがわかるでしょう」(英語版公式訳からの拙訳)。

続いて絵そのものを説明します。手紙が中断したのは、「夕方のカフェの外観を描いた新しい絵」の制作のためでした。テラスには酒を飲む人々の小さな姿があり、巨大な黄色いランタンがテラスと建物の正面と歩道を照らし、通りの石畳にまで光を投げかけて、石畳は紫がかったピンクに染まっています。星をちりばめた青い空の下、奥へと延びる通りの家々の破風は濃い青か紫で、緑の木が1本あります。そして作品を要約する一文を添えます。「ほら、黒を使わない夜の絵です。美しい青と紫と緑だけで描き、そのなかで明かりに照らされた広場は淡い硫黄色、レモングリーンに色づいています」(英語版公式訳からの拙訳)。

同じ手紙で、描き方も明かしています。「夜にその場で描くのが、とても楽しいのです。昔は素描をして、その素描をもとに昼間に絵を仕上げたものでした。でもわたしには、対象をじかにすぐ描くのが合っています」。暗がりでは青と緑を取り違えることもあると認めつつ、それが「貧弱で青白い、白っぽい光しかない型どおりの黒い夜」から抜け出す唯一の方法だと言います。実際には「ろうそく1本だけでも、このうえなく豊かな黄色やオレンジが得られる」のです。さらにモーパッサンにも触れます。『ベラミ』の冒頭は、大通りの明るいカフェが並ぶパリの星月夜の描写であり、「わたしがいま描いたのも、だいたい同じ主題なのです」(いずれも書簡678、英語版公式訳からの拙訳)。

テオ、ボック、そしてアルルの新聞が伝えたこと

9月16日、ゴッホはテオにその週の仕事をまとめて報告しています(書簡681)。その数日間の2点目は、「青い夜のなか、大きなガス灯にテラスを照らされたカフェの外観で、星の出た青空がのぞいている」絵でした。さらにこう続けます。「夜の情景や夜の効果を、その場で、しかも実際に夜に描くという問題に、ものすごく興味があります」。この週は「絵を描き、眠り、食事をとる以外、まったく何もしていない」とも書いています(英語版公式訳からの拙訳)。

10月2日には、ベルギーの画家ウジェーヌ・ボックへの手紙(書簡693)で、最近の作品の一つとしてこの絵を挙げています。「わたしたちがよく行ったフォルム広場のカフェの眺めで、夜に描いたもの」(強調は本人)。9月末にはテオに、それでも「とてつもない必要——あえてその言葉を使えば——宗教への必要」を感じていて、「だから夜、外へ出て星を描く」と打ち明けています(書簡691)。10月には、アルルの夜とパリの夜を比べて、「豊富なガス灯の光は、結局のところ黄色とオレンジなので、青を強めるのだと思います」と書きました(書簡702)。クレラー=ミュラー美術館がこの作品を紹介する際に引用している一文です(いずれも英語版公式訳からの拙訳)。

夜に絵を描く画家は、人目を引かずにはいませんでした。1888年9月30日、地元紙『ロム・ド・ブロンズ』(L’Homme de Bronze)は美術欄にこう載せています。「印象派の画家ヴィンセント氏は、聞くところによれば、夜、ガス灯の明かりのもと、町の広場の一つで制作している」(書簡集の英語版注釈からの拙訳)。

作品分析:色彩、構図、筆致

色彩:闇のかわりに補色を

画面全体は補色の対比で成り立っています。ガス灯の黄色とオレンジに対して、空と陰になった家並みの青と紫です。クレラー=ミュラー美術館はこう要約しています。もっとも目を引くのは、日よけの下の暖かな黄色・緑・オレンジと、星空の深い青との対比であり、それを奥の家々の濃い青がさらに強めている、と。夜は色を暗くするのではなく、冷たくすることで表されています。黒はどこにもなく、もっとも深い影も、本人が書いているとおり濃い青と紫です。ランプの光が日よけと壁に当たるところでは黄色が明るくなり、光から離れるにつれてレモングリーンへと冷えていきます。石畳は二つの光を同時に受けているため、オレンジ、紫がかったピンク、青の斑点を交互に置いて描かれています。

構図:すべてが中央へ

テラスと歩道の縁が一本の対角線をつくり、奥の家並みの線がもう一本の対角線をつくります。構図の線は、馬車が通る画面の中央に集まり、すべてが奥へ引き込まれるように見えますが、全体の調子は動揺ではなく静けさです。地面は見る人の側へせり上がり、テラスは傾いて見えます。これは直前の《夜のカフェ》で使い、のちに《寝室》でも繰り返す、誇張した遠近法の手法です。巨大な日よけが中央を占め、画面を二つの世界に分けています。下はランプの世界、上は星の世界です。

星と筆致

《夜のカフェテラス》の空の部分:濃紺の空に白と黄色の花のような星、教会の塔と緑の木
星空の部分。フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェテラス》(F 467 / JH 1580)、1888年9月。クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー

星は白い点ではありません。厚く盛った絵具の小さな円で、明るい中心のまわりを黄色やピンク、緑がかったタッチが囲んでいます。ヴィレミーンへの手紙に書いたとおりです。実際の空に見えるより大きく描かれており、この手法は《星月夜》で渦巻きにまで発展します。空はいくつもの青の短い筆触を混ぜずに重ねてつくられていて、そのため画面が震えるように見えます。一方、日よけは輪郭のくっきりした大きな黄色の面で、ゴッホが敬愛し、同じ妹宛ての手紙でも触れている浮世絵を思わせます。

しかもこの空は正確です。クレラー=ミュラー美術館によれば、のちの天文学的な調査で、ゴッホが1888年9月16日か17日の夜に見えたとおりの星座を描いたことがわかっています。美術史家アルバート・ボイムは、みずがめ座の位置から、制作を9月初めの夜11時頃としていました。いずれにしても、《ローヌ川の星月夜》で位置をずらした北斗七星(おおぐま座)とは違い、ここでは広場から見えた空がそのまま描かれています。

テラスの素描

同じ情景を描いた素描(F 1519 / JH 1579)があり、ダラス美術館のウェンディ&エメリー・リーヴス・コレクションに収められています。日よけ、ランプ、テーブル、給仕、奥の馬車まで、油彩と同じ構図を繰り返し、色をさまざまな線に置き換えています。空には平行線、石畳には小さな曲線、日よけには短い線です。

ゴッホによるフォルム広場のカフェテラスのペンとインクの素描。日よけ、テーブル、給仕、石畳の通り
フィンセント・ファン・ゴッホ《フォルム広場のカフェテラス》(F 1519 / JH 1579)、1888年9月。ダラス美術館

《夜のカフェテラス》と《夜のカフェ》:二つのカフェ、二つの夜

この2点を混同する人は多く、それも無理はありません。1週間違いで、どちらも夜に、その場で、ガス灯の下で描かれ、ゴッホ自身も「二つのカフェ」とまとめて呼んでいるからです。しかし店も違えば、夜の性格も正反対です。《夜のカフェ》は、黄色い家のそばのラマルティーヌ広場にあったカフェ・ド・ラ・ガールの店内です。行き場のない人が夜を明かす終夜営業のカフェで、本人の言葉によれば「人間の恐ろしい情念」を表すために赤と緑で描かれました(書簡676、英語版公式訳からの拙訳)。一方テラスは、9月の穏やかな夜、町の中心のにぎわうカフェの外観で、その色はぶつかり合うことなく調和しています。

夜のカフェテラス夜のカフェ
場所屋外、フォルム広場店内、カフェ・ド・ラ・ガール
制作1888年9月16日頃1888年9月8日完成
色彩黄色と青赤と緑
ねらい「黒のない」夜「人間の恐ろしい情念」
サイズ縦長、80.7 × 65.3 cm横長、72.4 × 92.1 cm
署名なし署名・題名入り
所蔵クレラー=ミュラー美術館(オッテルロー)イェール大学美術館(ニューヘイヴン)
ゴッホ《夜のカフェ》:赤い壁と緑の天井の部屋、中央のビリヤード台、ガス灯と眠り込む客
対になる作品:フィンセント・ファン・ゴッホ《夜のカフェ》(F 463 / JH 1575)、1888年9月。イェール大学美術館、ニューヘイヴン

2点に共通するのは、ガスの人工光を主題にするという同じ発見です。カフェの店内では四つのランプが黄色と緑の同心円状の筆触の光輪に包まれ、テラスでは同じ表現が星へと移ります。違いはその意味にあります。ゴッホは《夜のカフェ》を「これまで描いたなかでもっとも醜い絵の一つ」と考えていましたが(書簡676、英語版公式訳からの拙訳)、テラスについては熱のこもった言葉しか残していません。

テラスから《星月夜》へ

テラスは、星空のある夜景の最初の作品です。同じ月には《ローヌ川の星月夜》(オルセー美術館)を描き、10月2日にボックへ、ガス灯に照らされた町が青い川面に映るローヌ川の習作で、その上に「北斗七星のある」星空を描いた、と説明しています(英語版公式訳からの拙訳)。そこでは空が画面のほとんどを占め、ガス灯の光は水面の反映へと変わります。同じ頃の《ウジェーヌ・ボックの肖像》(スペイン語)も、背景は星の出た夜空です。

その9か月後、サン=レミで《星月夜》(ニューヨーク近代美術館、MoMA)が生まれます。もはやその場ではなく記憶をもとに描かれ、空には渦が巻いています。vggalleryは、星月夜の「三部作」という考えは後世の解釈であり、ゴッホ自身がそう構想したことはないと注意を促しています。それでも、出発点がこのテラスであることに変わりはありません。

エピソードとさまざまな解釈

  • パリからの着想。 『ベラミ』のほかに、手本としてルイ・アンクタンの《クリシー大通り、夕方5時》(1887年)も挙げられています。漏斗のような遠近法と、青と黄色が支配する、もう一つの夜景です。
  • 映画の中で。 絵とカフェは、カーク・ダグラス主演の映画『炎の人ゴッホ』(Lust for Life)(1956年)に登場します。カフェは『RONIN』(1998年)にも映り、テラスは『ドクター・フー』のエピソード「ヴィンセントとドクター」(2010年)や、油絵で描かれたアニメーション映画『ゴッホ~最期の手紙~』(Loving Vincent)(2017年)にも出てきます。
  • 署名も、フィンセント自身による題名もなし。 ゴッホはこの絵に署名していません。初めて展示されたのは死後の1891年で、題名は《Café, le soir》(夕べのカフェ)でした。現在知られている題名は、それより後のものです。

作品の来歴:オーリエからクレラー=ミュラーへ

vggalleryがまとめた来歴によると、知られている最初の所有者はパリの批評家アルベール・オーリエでした。1892年10月にシャトールーのS・ウィリアム=オーリエの手に渡り、1914年6月にハーグでヘレーネ・クレラー=ミュラーが購入しました。以来、所有者は変わっていません。彼女のコレクションとともに、彼女がオッテルローに創設した美術館に収められました。最初の展示は1891年、パリのル・バルク・ド・ブットヴィル画廊で開かれた「第1回印象派・象徴派画家展(1re Exposition des Peintres Impressionnistes et Symbolistes)」です。その後、クレラー・コレクションとともにヨーロッパ各地を巡回し、MoMAの回顧展(1935–1936年)にも出品されました。

《夜のカフェテラス》はどこで見られる?

この絵は、オッテルローのデ・ホーヘ・フェルウェ国立公園の中にあるクレラー=ミュラー美術館の所蔵です。アムステルダムから車で1時間あまりです(電車とバスを乗り継ぐ場合はさらに時間がかかります)。ヘレーネ・クレラー=ミュラーが集めた、世界で2番目に大きなゴッホ・コレクションがあり、《日没の種まく人》(スペイン語)などが見られます。アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にはありません。アムステルダムから、クレラー=ミュラー美術館は日帰りの小旅行に最適です。詳しくはファン・ゴッホ美術館(アムステルダム)、ルートガイドドレンテとオッテルロー(スペイン語)、ゴッホの作品が見られる美術館(スペイン語)をご覧ください。アルルを訪れるなら、フォルム広場はアルルのゴッホゆかりの地めぐり(スペイン語)に欠かせない立ち寄り先です。

当サイトに解説ページがあるクレラー=ミュラー美術館のゴッホ作品をすべて、来館に役立つ情報とともにまとめています:クレラー=ミュラー美術館のゴッホ(スペイン語)。

《夜のカフェテラス》についてのよくある質問

《夜のカフェテラス》はどこにありますか?

オランダ・オッテルローのクレラー=ミュラー美術館にあります(所蔵番号KM 108.565)。1914年にヘレーネ・クレラー=ミュラーが購入したもので、アムステルダムのファン・ゴッホ美術館ではありません。

ゴッホが《夜のカフェテラス》を描いたのはいつですか?

1888年9月半ば、アルルで描きました。クレラー=ミュラー美術館は9月16日頃としています。ゴッホが初めてこの絵について書いたのは、9月14日頃に書き継いだ妹ヴィレミーン宛ての手紙で、16日にはテオに、その週の2点目の作品として伝えています。

《夜のカフェテラス》にはどんな意味がありますか?

夜は色彩で描けることを示した作品です。ゴッホが目指したのは「黒を使わない夜の絵」で(書簡678、英語版公式訳からの拙訳)、ガス灯の黄色に対して青と紫と緑だけを使いました。夜にその場で描かれた、星空のある最初の夜景であり、《星月夜》へと続く道の出発点です。

絵のカフェはどこで、今もありますか?

アルルのフォルム広場にあるグラン・カフェ・デュ・フォルムです。店は今も広場にあります。1990–1991年に絵をまねて黄色く塗り替えられ、カフェ・ファン・ゴッホと名前を変えました。2016年にはル・カフェ・ラ・ニュイという名前でした。1888年当時、黄色かったのはおそらく光だけで、建物の正面ではなかったと考えられています。

《夜のカフェテラス》の大きさは?

80.7 × 65.3 cmです。縦長のカンヴァスに描かれた油彩画です。

《夜のカフェテラス》と《夜のカフェ》は同じ作品ですか?

いいえ。どちらも1888年9月の作品ですが、別の絵です。テラスはフォルム広場のカフェの外観で、黄色と青で描かれています。《夜のカフェ》はカフェ・ド・ラ・ガールの店内で、赤と緑で描かれ、イェール大学が所蔵しています。ゴッホは2点をまとめて「二つのカフェ」と呼びました。

絵の中に「最後の晩餐」が隠されているのですか?

2014年に発表された仮説で、中央の給仕を囲む12人の人物と、消失点にある十字架の形を読み取るものです。裏づける資料はありません。ゴッホは三つの手紙でこの絵を説明していますが、そのことには一度も触れていません。ただ、テオには宗教への必要から「夜、外へ出て星を描く」と書いています(書簡691、英語版公式訳からの拙訳)。

作品データ

題名夜のカフェテラス(Caféterras bij nacht (place du Forum)。1891年にCafé, le soirの題で展示)
作者フィンセント・ファン・ゴッホ
制作年・場所アルル、1888年9月16日頃
技法油彩、カンヴァス
サイズ80.7 × 65.3 cm
カタログ番号F 467 · JH 1580
署名なし
所蔵クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー(KM 108.565)
時期アルル時代(1888–1889年)(スペイン語)
バーチャル見学で見る。 この作品は、当サイトの3Dバーチャル美術館のアルルの展示室に実物大で展示されていて、筆致までズームして見られます。展示室で開く →

関連作品

この時期の手紙についてはゴッホの手紙(スペイン語)をご覧ください。

出典:フィンセント・ファン・ゴッホの書簡594、596、628、678、681、683、691、693、702(1888年4月〜10月)とその注釈、ファン・ゴッホ美術館とホイヘンス研究所によるvangoghletters.org版。クレラー=ミュラー美術館の作品解説(krollermuller.nl/en/collection/vincent-van-gogh-terrace-of-a-caf-at-night-place-du-forum-km-108-565)。vggallery.com(F 467:来歴と展覧会歴)。ウィキペディア「Café Terrace at Night」「Terrasse du café le soir」。

このページについて:Museo Van Gogh 編集長 Jorge Torres 執筆、2026年10月確認。出典:ファン・ゴッホ美術館とホイヘンス研究所による書簡集(vangoghletters.org)、ド・ラ・ファイユ(F)とフルスケル(JH)のカタログ・レゾネ、美術館やコレクションが公開している資料。作品解説の作り方(スペイン語)